筑波プログラムの理念

総合診療医の専門性

筑波のプログラムは、どんな理念に基づいて作られているのでしょうか。
本事業統括責任者 前野哲博教授とコーディネーター 吉本尚講師にインタビューしました

総合診療医養成への社会的要請
本事業の説明の前に、そもそも総合診療医の養成がなぜ現在求められているのか、社会背景をお聞かせください。

今後、地域医療のあり方は大きく変わっていきます。地域での医療を念頭に置くと、高齢化により医療ニーズは非常に多様になるんです。しかし、地域に各専門科をそろえることは難しい。そこで、地域にはオールラウンドプレイヤーである総合診療医が必要なんですね。また、医療が臓器別に高度先進化し、一人の医師が習得する深度は深く範囲は狭くなりました。実践でプライマリ・ケアを習得する機会も減少してきています。「部分最適の集合体」は、必ずしも「全体最適」ではありません。各部分の溝を埋めるためにも、「全体を広くもれなく診る」ことのできる専門家が必要なんです。

2017年4月から総合診療専門医制度もはじまります。現在は、総合診療の専門性がさらに確固としたものになっていく過渡期といえるでしょうね。

政策や制度のしくみ上も、総合診療医が求められてきていそうですね。

将来、医療・福祉・介護の資源が逼迫するのは確実。政府は、地域住民の健康と安心を守るための「地域包括ケアシステム」を打ち出しています。そのシステムがうまく回るためには、住民に近い存在でありながら地域を俯瞰でき、地域に適合したシステム構築のカギになるコーディネーター役が必要です。しかしその役割は、全ての臓器専門医が自然と担えるようになるわけではありません。だからこそ、その能力を持つ人物を意識的に養成することが必要なんです。

求められる総合診療医像とは?
総合診療医とは、どんなスキルやマインドを持つ専門家なのでしょうか。

必要な医療スキルは場所によって異なります。しかし、「ひとびとの健康を支えるオールラウンダー」(下図)というヘルスケアプロフェッショナルとしてのマインドは変わらないと思います。

筑波が目指す総合診療医像

「ひとびとの」とは、地域の人のことですよね。健康な人も含むのですか?

そうです。今までの医療では、病気の時だけ、患者を臓器別に分けて診るのが通常でした。しかし、総合診療医は、ヘルスケアプロフェッショナルとして「その地域に住む人」を全て診る。年齢、性別、職業、もちろん病気も選り好みせず、健康な人も含め地域の全ての人の健康を守るんです。

時間軸で捉えると、患者さんのライフイベントの情報を長期的に把握した上で、総合的な診断をします。これも総合診療医の専門性といえますね。

なぜ「オールマイティー」ではなく、「オールラウンダー」?

もちろん総合診療医で完結して診られる病気もありますが、全領域を総合診療医一人が担えるわけではありません。全てを専門レベルで担える「オールマイティー」な医師ではなく、どの領域もまず診ることができて、必要時には専門家にしっかりつなぐことができる「オールラウンドな医師」を養成しています。

オールラウンダーは「全体として診る」能力を持っています。臓器だけでなく、個人、家族、地域について、心理社会的背景を含めて把握するんです。その上で専門科への紹介も含めた、最適な医療サービスを患者に提供する方法を知っています。これこそがオールラウンダーたる総合診療医の専門性といえるでしょう。

こんな医師がかかりつけ医なら、患者さんは「このお医者さんにいえば、体のことはなんとかしてくれる」と思う。いわば、「地域の健康ワンストップサービス」のような存在ですよね。

曖昧な「専門性」を言語化して共有
このような総合診療医の専門性は、まだまだ理解されづらいですね。

総合診療領域のアイデンティティや専門性については、手術のような明確な技術に見えないので、なかなか言語化されづらく、伝わりづらいのです。そこで我々は、総合診療の専門性について明確に伝わるよう、自分たちの言葉で「ひとびとの」「健康を支える」「オールラウンダー」とキーワードを挙げて言語化しました。こうすると、学生もその専門性と必要性を理解しやすくなります。

本事業が始まって約2年後の2015年4月に、日本専門医機構から総合診療医のコンピテンシーが示されました。総合診療医の専門性について、我々とほぼ同じイメージで作られています。今後はこの方向性に沿って総合診療医養成が進んでいくでしょう。

育てるべき「総合診療医」の能力とは

高いレベルの医学知識とは
専門性の高い総合診療医を養成するためには、学生・専攻医のどのような能力を育てるべきなのでしょうか。

我々は、前で述べた高い専門性を持つ「ひとびとの健康を支えるオールラウンダー」の特性(コンピテンシー)とは何なのかを丁寧に分析しました。その結果、6つのコンピテンシーが必要だと考えています(下図)。「テクニカルスキル」は、いわゆる医学知識・技術能力。現在の医学教育で中心的に行われている部分ですね。「総合診療能力」とは、世界中どの総合診療医も持っているべき医学知識・技術を、高いレベルで備えている状態をイメージしています。「次世代対応能力」とは、地域包括ケアの実践も含め超高齢社会で特に必要となるニーズに対応した診療や治療ができる能力です。次世代で確実に通用する力ですね。

「研究実践能力」とは、個々のケアだけでなく、科学的な視点から全体を俯瞰し、地域医療に関しての研究ができる能力を指します。研究人材を養成できるのは大学実施の事業だからこそなんです。

総合診療医に求められるコンピテンシー

かなり高水準に目標設定していますね。

そうですね。我々は筑波ならではの高い水準の専門医を育てたいと思っています。例えば総合診療医は各臓器別・患者属性別を横断し、統合された知識を持っていることが大切。単に経験を積むだけでなく、総合診療医の指導の下、専門性を意識して、統合された知識を学ぶ教育を受ける必要があります。

ノンテクニカルスキル養成の必要性

地域のニーズは、複雑で多様。多くのステークホルダーがおり、資源も限られています。そこで必要になるのが、右側の「ノンテクニカルスキル」です。

複雑なシステムの中で組織と人を動かし、望ましい姿に近づけるには、コミュニケーション、リーダーシップ、マネジメントなどのスキルが必要。これらのスキルには体系的トレーニング法があり、他業種では多くの企業・団体が研修等で取り入れています。ところが、現状の医療人養成ではこのような能力養成を組織的に行わず、医師の個人的資質に委ねられていました。厳しい環境下で実践される総合診療分野こそ意識的にトレーニングする必要があると判断し、筑波の事業では大きく盛り込んでいるんです。

筑波開発の人材養成ツールを利用

実は、平成23年度文部科学省GPに採択された「筑波大学病院のチーム医療教育―患者中心の医療を実践する人材育成の体系化―」事業で、筑波大学はノンテクニカルスキル養成のツールを開発しました。もともと産業界で業務トレーニングのために行われていた人材育成ツールですが、それを日本の医療者向けに改訂したのです。このプロダクトを活用した人材養成は、今回の筑波プログラムでも大きな特徴のひとつですね。

養成すべきノンテクニカルスキルとは
総合診療医に必要なノンテクニカルスキルとは、具体的にどんな能力でしょう。

まずは「チーム医療実践力」。医療ニーズが複雑化・多様化する将来においては、うまく周りと組んで巻き込める多職種連携の力がかなり重要になります。それをしっかりと養成します。さらに、量が増大する今後の医療現場で業務を効率化するため、既存の枠組みを見直し新スキームを構築する力を育てます。業務改善のスキルですね。これらの能力により、周囲をうまく巻き込んだ効果的なアウトカムができます。

次に、「人材育成力」。総合診療医は、医学生・専攻医はもちろん、協働する各職種を教育する役割を担います。大学の教育機能を活かし、人材育成力は体系的に養成していきたいですね。それから、全国に先がけて総合診療医養成・指導ができる人材を育てている筑波の役割として、「総合診療医を育てられる能力を育てる」ことにも取り組んでいます。今後、全国で総合診療医養成のニーズが高まっていくでしょう。その際、指導医は必要不可欠な存在ですから。

「省察的実践力」は、経験からの学びを最大化する力で、高い専門性を修得するために必要な能力です。経験を冷静にふりかえって咀嚼し、分析して学びに変え、暗黙知として吸収する「ふりかえり」を意識的に習慣づけることが大切。この習慣で、医師は自ずと成長のステップを上っていくことができるようになります。

ノンテクニカルスキルは、後期研修以降ずっと学び続けます。On the Job TrainingとOff the Job Trainingを効果的に組みあわせて、総合診療医としての能力を確実に育成します。

筑波の総合診療医養成の特徴

地域医療現場に教育機能を併設
総合診療医が求められるコンピテンシーを養成するために、本プログラムではどんな特徴を盛り込んでいますか。

前に述べたノンテクニカルスキル養成も大きな特徴のひとつです。さらに、専攻医が地域に出たときに働くであろう場所と同様な医療機関で研修ができる環境を整えていることも特徴のひとつ。大学教員である指導医の支援を受けながら、実践的な医療知識、問題解決能力等を養成します。

多様なステークホルダー、複雑なスキーム、不十分な資源という環境の地域医療では、総合診療医に場に応じた総合判断・処理能力が求められます。これは、訓練というより、実地経験とそのふりかえりの中で学び取られるもの。総合診療は地域の現場に身を置かなければ学べないことが多くあります。ただ、経験の浅い専攻医がいきなり診療所等の最前線に赴くのは大きな不安がありました。

2006年から地域医療施設に大学教員を派遣する一方、十分な支援体制の下、地域のフィールドで学べる「いばらき地域医療研修ステーション事業」を、筑波大学と茨城県の共同で構築したのです。医師不足に悩む地域は指導医とその下に集まる若手医師のマンパワーを、大学は実践的な医療人養成に理想的な研修先を確保する。地域と大学のWin-Winな関係です。その後、提携先は他の自治体や団体、企業等に広がっていきました。

既存のローテートの枠を越え、地域に出て実践的な研修を行うのですね。

そうです。事業運営母体は大学ですが、研修は大学に縛られません(下図)。「大学であり、大学でない」バラエティに富む養成になっているんですね。でもこれは、県立、市立、民間、どのような病院ともパートナーシップを構築できる大学ならではのネットワーク性を活かしているからできることなんですよ。

本事業におけるおもな総合診療医養成拠点

大学だから「育てる」にこだわる

教育体制の充実という面でも、大学としてのメリットは最大に活かしています。提携施設では、テレビ会議、シミュレーター、電子ジャーナル等ハード面の充実だけでなく、指導医による指導という教育ソフト面の充実も本事業の大きな特徴です。 筑波には、指導に関するスキルとマインドを兼ね備えた家庭医療専門医が関連施設も合わせて25名(2015年10月現在)と非常に豊富にいて、指導医として毎日丁寧に専攻医への評価を行っています。

さらに、専攻医が総合診療医としてのアイデンティティを確立できるような場やセミナーを、成長過程に合わせたテーマで数多く設定し、スキル・マインドの向上へと確実につなげる支援環境を整えています。こうした支援体制の下で、専攻医は安心してのびのびと能力を高め、自信をもって総合診療医としてのキャリアをかたち作れるんです。

総合診療のリーダーを育成

育てた専門医を、さらに総合診療のリーダーとしてワンランク高度に育成するプログラムを構築することも、アカデミアである大学が総合診療医養成に関わるからこそできる内容だと思っています。

それがフェロープログラムと大学院プログラムです。後期研修を修了した時点で、総合診療専門医として高い資質をもつ医師に成長していますが、そこにとどまらず、領域内の一分野をさらに究めて学ぶことで、さらに専門性を高めていくことができます。後進を指導できる教育指導人材として、または総合診療領域を発展させる研究者として成長します。

最後に、「自分の地域でも総合診療医を養成したい」と願う全国の医療関係者にむけてメッセージを。

筑波大学でも、当初はただ一人の医師が「総合診療医を育てよう」と動き始めたのがきっかけでしたよね。

ここまで来るのに25年かかりました。試行錯誤を繰り返しながらここまで来ましたが、筑波で培ったノウハウが、全国各地の総合診療医養成に少しでもお役に立てるとうれしいです。